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自分の目で見る

昨日帰ったら、お稽古している茶道の流儀の会報誌が届いていました。
そこでの御家元の巻頭言。
「箱書きを否定するものではないけれど、
今後は特別な場合を除いて箱書きすることは控えていく」
という方針が発表されていました。

箱書きというのは、元々、茶道具を入れてある箱にその中身、
つまりその品物の種類や名前(銘)、作者などを書いたものだったそうです。
もちろん、今でもそういう意味あいの箱書きもありますが、
それに加え、各流儀の家元や指導者、えらいお坊さんたちが
「この品物は誰が作ったもので、その美的センスや技術力等、
すばらしいものであることを保証します」といった
意味合いを持つものと理解しています。

その、「保証します」の箱書きをしませんよというお知らせなのでした。

ふむふむ。

さらに、
「箱書きで道具を見るのでなく、
もっと道具そのものを見てはいかがでしょうか」
という趣旨のご意見も。

以前、流儀内の青年部というサークルのイベントに参加した際、
御家元が箱書きの考え方についてお話しくださっていたので、
今回の発表は私にとっては意外でもなく、
素直に理解できました。

とくに、後半の
「道具そのものを自分の目で見てはいかがでしょう」
というメッセージをそのままに受け取りたいな。

さらに言うと、
作者の名前が世間に通っていようがいまいが、
そのときの趣向に合うもので、
何か自分が惹かれるものがあり、
自分の力で手に入れられるもの
を自分なりに考えていきたいものです。

弟子をとってお茶を教えているプロの先生方は、
また違った受け止め方がおありでしょうけどね。

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コメント

流儀のHPでも読みました。
文章から、茶会を開くために箱書きをお願いする風潮があるように読み取れました。まだまだひよっこで実情はわからないのですが、もしそうなら本末転倒ですね。
でも、その中にいるといつの間にか本質が見えなくなることはどの世界でも有りますよね。
箱書きについて考えさせられる時期にタイムリーなお家元の発言、またまた頭が混沌としております。。。。。

投稿: 群集 | 2007年7月13日 (金) 14時36分

茶会のための箱書きって事例はあるんでしょうね。
よその方から「箱書のある道具は?」とか
「それなりの格の道具に」という意見を聞いたことはあります。

ひよっこでへなちょこでなんちゃってな私たちにはあまり関係ないけどね。

投稿: monaco | 2007年7月13日 (金) 15時16分

「自分の目を、美意識を信じる」とても難しくまた勇気の要ることだと思います。
頭が混沌としつつもいつか「私のお茶」を見つけられるといいな・・・。

投稿: somo | 2007年7月14日 (土) 11時40分

そうね~、群ちゃんちょうど話題に出ていたよね。
箱書きってね、いただくことで修道の励みになるっていう一面も
あるんじゃないかとは思うの。
どういうことでその箱書きがあるのか、
それをどう使うのかってことなんだろうけど、
難しいなと思います。

投稿: monaco | 2007年7月16日 (月) 14時27分

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