週末のおでかけ
週末、友だちとちょっと旅行へ。
こんな電車に乗って
こんなお船に乗ったり
こんな景色を見たりしてきた。
んで、帰ってきたら急に次も出かける予定が入ってしまった。
なので、詳細はまた今度。
週末、友だちとちょっと旅行へ。
こんな電車に乗って
こんなお船に乗ったり
こんな景色を見たりしてきた。
んで、帰ってきたら急に次も出かける予定が入ってしまった。
なので、詳細はまた今度。
元気ですよ~。
なんとなくあわただしいだけで。
大型連休前、茶友主催の茶会へ。
流儀とは関係ない茶会なので、
ちょっと気楽な感じでいいかなと思って江戸小紋(伊勢型写)にしました。
色無地紋つきだと固くなるしね。
帯も、袋帯だけどあまり改まりすぎない感じに。
連休中の5日は、流儀の関係で呈茶のお手伝い。
「紋付き色無地でなくてもOK」
「柄ゆきしだいだけど付下、訪問着でもOK」
とのお達しだったけど、
柄ものの基準がいまイチわかりかねたので
友だちの茶会で着た江戸小紋(伊勢型写)に。
八幡さまの境内で参拝にいらした方へのお茶のサービスだったので、
帯はちょっと軽い感じでもいいかなと、
「私の散歩道」という名前のついた名古屋で。
連休が明けた後の9日は、
5日に呈茶をした八幡さまでおこなわれた流儀のお献茶式とその奉賛茶会へ。
お稽古仲間と一緒にお茶会にいくのは久しぶり。
お茶会にいくだけなら柄物でもいいんだろうけど、
大宗匠が奉仕される献茶式に参列したかったので
紋付きの色無地に袋帯。
5月も中旬になってくると袷の着物では汗ばむことが増えてくる。
袷の身頃の部分を抜いた胴抜きとか背抜きといわれる仕立て方のものが
あるといいなぁ、と思う。
ふだん着ることが多い小紋は胴抜きに仕立てたものがあるけど、
やはり紋付きの色無地か、
それに近い使い方のできる紋を入れられる江戸小紋があるといいなぁ。
まあ、おいおい考えよう。
昨日の夜はDYNAMITE POPSのライブ。
今回のライブは、“エンジェル浅野”こと
ギタリストの浅野孝己さん(ゴダイゴ)のほかに
リリーズ、ふとがね金太さんと豪華なゲスト陣。
最初、「リリーズ、出演決定!」って聞いたときはびっくりした。
だって、♪好きよ 好きよ キャプテン♪って歌ってたのって
何十年前?
姿を見なくなって何十年経つけど、もしかしてずっと歌ってたの?
引退したんじゃなかったの?
それなりの年齢のはず(計算できてしまう自分が悲しい)だけど、
久々に登場なら“イタイ”ことになってなきゃいいけど……
とか、いろいろ思い浮かべてたわけ。
それが、ステージを見てもう一度ビックリ!
そりゃね、もちろん、年齢は加えていらっしゃいましたよ。
でもね、かわいい雰囲気はそのまま。
だからといって、それがイタイ感じなわけでもないし、
やっちゃった感の漂うステージでもなかった。
思うに、ステージを降りてからの何十年間、
きっと無理なくいい時間の過ごし方をしていたのではないかと。
4年ほど前に活動を再開したそうで、
「好きよキャプテン」だってちゃんと声も通ってるし
ハーモニーの高音もきれい(キーはオリジナルのままだったのかな?)。
歌手を休んでいる間はもちろん、再開を決めてからも
必要な努力をきちんと惜しみなくしてきたんだろうなということを感じる。
だって、“いいや”って思っちゃうと
いろんなことがとんでもないことになってしまうことは
私もよ~くわかるから。
年齢に応じた経験もあるだろうし、
もう一度歌いたいと思いそれを実行した行動力は、
同じ世代としてはとってもうれしいし、励みにもなる。
いつものダイポプのライブとはまた違った楽しみも味わえた。
あるお道具屋さんの展示会で師匠が添え釜を頼まれたので、
私もそのお手伝い。
実は昨日の夜になって、
「そうだ、あれを使いましょう!」と師匠が思いついて
旅箪笥という棚を使った芝だてという点前になった。
旅箪笥は、秀吉の小田原出陣の際、
帯同した利休が簡単な茶道具を納めて持参し、
一服を点じたといわれている。
名前の通り、小型の箪笥に薄茶を点てるための道具が
入るようになっている。
基本は平点前なんだけど、
芝だては、途中で中板を抜き出して置き、
その上に薄器や茶筅を置くので道具が安定する。
たしかに屋外ではそのほうが安心してお茶を点てられるわ。
で、入門以来お世話になっている私の姉弟子Iさんは、
前夜、道具の支度を一緒にし帰宅したあとで
その芝だてのお点前の確認をしたのはもちろん、
さらに、旅箪笥を使った道具組みなども調べたのだそうだ。
「この棚のときには平棗を取り合わせるのがいいそうよ」
「たしかに本に載っている例も、平棗なのよ」
さすがだな~。
いや、社中で、それも姉弟子を褒めるような
上から目線のようないい方をするのは失礼なんだけど、
こういう+1の行動がIさんのIさんたるゆえん。
私も、棚の扱いや点前の違いなどは寝る前に復習したけど、
その先、たとえばこの棚について書かれた本までは取り出さなかった。
Iさんはいろんなことをよくご存じで、
社中でも自分が学んだことや経験したことは
私たち後に続くものには惜しみなく教えてくださる。
多くの人が「Iさんは私たちとは違うのよ~」なんておっしゃって、
それに対してIさんはもちろん、
「そんなことないですよ」って返されるけど、
私もIさんだけが特別な人なのではないと思っている。
ただ、Iさんと、私も含めた他の人との違いは、
「それはどうだろうな?」と疑問に対して素直であることと、
その疑問や考えをそのままにせず調べたり行動したりする点だ。
それも、大げさなことをするわけではなく、
自分の時間を5分、10分割くことなので、
本当はだれだってやろうと思えばできること。
やるかやらないかの違いだけなんだけど、
そしてそれはお茶のお点前に限ったことじゃなく、
小さな積み重ねが10年、20年と経つうちに
大きなものになっていくんだなということを、
改めて感じたのだった。
昨日の午後から降り始めた雨は、夜の早い時間から霙になり雪になって、
今朝は私の住むあたりも銀世界。
こういう寒い日は、立ち上る湯気にもホッとする。
私がお稽古しているお茶の流儀には、この時期ならではの
「大炉」という趣向がある。
晩秋から春にかけての茶室は、畳の一角を1尺4寸(42.4㎝)四方に切り、
床下を囲った中に炭を入れ釜をかけるが、
寒さがもっとも厳しい2月は、1尺8寸(54.5センチメートル)と、
常よりひと回り大きく切った「大炉」を使う。
炉の寸法が大きいので、かける釜も大きいのを使うのだけど、
釜に合わせてくちも大きく開いており(つまり、釜の蓋も大きくなる)、
蓋を開けた時にほわ~っとたっぷりの湯気が立ちあがるだけで
温かさが増したような気がする。
私が教わっている先生のところではいま、
この大炉の趣向で茶事のお稽古をしている。
数組に別れ、それぞれの組の中で
お客、亭主・半東、懐石料理を作るお勝手と、それぞれ係に分かれ、
茶事を実践するものだ。
31日から始まったのだが、この日は特別温かく、せっかくの大炉なのに、
その楽しみが十分に味わえないような気分だった。
2組目は昨日。外に出ると思わず背中を丸めてしまうような寒さで、
ふつうに考えるとそんな日に出かけるのはお気の毒さまだと思うのだけど、
大炉の趣向にはこれほどもってこいの日はない。
今度の週末には、私ももう一度このお茶事に参加する。
あまり得意としないお勝手の係なので、
楽しいより緊張感のほうが多いけど、
大きな釜から立ち上る湯気を想像するとちょっと心も和む。
お茶の教室では、月末からお茶事の予定。
今回、私はお勝手で料理を作る係なので、
献立や料理を盛る器のことはつらつら考えたりするが
道具の取り合わせなどは担当外。
でも、ついつい考えちゃうんだよね~、
だってそういうことに思いを巡らせるのは楽しいから。
で、今日も頭の中で勝手に考えながら、
楽しみにしている「ほぼ日」の記事を読んでいたら、
私が道具組みを考えるときに
いつも“ここはどうだろう”と思っていることと類似している話があった。
(どんなお話かは
http://www.1101.com/oomukou/index.html
をご覧ください)
「掛け声の“引き算”が大切」
「あんまり掛けると野暮になるから」
そうなんだよね~。
お茶の道具の取り合わせも、
その時々の趣向を軸にして何を使うか組み合わせていくんだけど、
つい、そのテーマにそったものを
“これでもか”っていうほど並べてしまうことがある。
そうすると、なんとなく息苦しい感じがするような気がする(私は、ね)。
ところどころで、息抜きというか余白のようなものがぽんとあると、
テーマに向かっている他の道具がいっそう生きるように思う。
でも、物足りない感じになってはいけないし、
そのバランスが難しいところなんだよね。
“歌舞伎の大向こうさんたちの掛け声もそうなんだ~”
と納得し、共通するものを見つけたようで
なんとなくうれしい気もしている。
今朝は仕事の前に築地場外市場へ。
月末から来月初めにかけて、
お茶の教室で茶事のお稽古を予定しているので、
懐石料理の材料を下見してきた。
だいたいの献立は考えてあったけど、
野菜も魚も、同じ時期でも
年によって旬のタイミングが若干違ってくるので、
ちょっとした変更を加えて献立も決まり、
それぞれのお店にだいたいのところ注文もすませた。
ま、問題はちゃんとしたお料理を、
より正しいタイミングで出せるかどうか。
「半泥子」展ではなく、
「すべて」とタイトルに冠しただけあって、
陶芸、書、画、写真、建築(設計)と、
半泥子が残した作品が広範な分野で展示されていた。
入り口近くにあった「初音」と名付けられた茶碗や
会場中程の織部黒茶碗、瀬戸唐津茶碗、
「たつた川」と銘がついた粉引茶碗などに目が吸い寄せられる。
ここ数年は端正な形の茶碗に心が引かれることが多いけど、
今回もそうだった。
半泥子の手によるものをこんなにたくさん見たのは初めて。
生意気を言わせてもらうと、
いちばん好きだと思うのは絵画だった。
半泥子の洒脱さやおおらかな感性が
いちばん生かされているように思うから。
チラシにも掲載されている「重ね餅図」など、
画家では出せないダイナミックさ、筆の自由さを感じるし、
ささっと表装まで描いてしまうあたりの気軽さや
描くことを楽しんでいることが伝わってくるよう。
「桃花図」や自画像でもしばらく足を止めた。
虎の図は表装、とくに上下の桃色がなんだかしっくりこない感じだったけど。
他に、文字のまわりに茶碗型の印判をペタペタ押した横掛の軸も、
字の太さや大きさ、語句の厳しさを和らげていて楽しい。
茶碗「ねこなんちゅ」、茶入「やせ男」、茶杓「うねうね」など、
名前の付け方にも素直でおおらかな半泥子らしさが溢れている。
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